ドイツの学術研究の動向

在独PIによるドイツの学術研究の紹介(第7回)
「ドイツの科学研究への考え方」伊藤 博(脳科学)

2019-04-05

在独PIによるドイツの学術研究の紹介(第7回)
「ドイツの科学研究への考え方」伊藤 博(脳科学)

私は2016年1月よりフランクフルトのマックスプランク脳科学研究所にて研究室を主宰しております。マックスプランク研究所は、ドイツ連邦政府の公的資金により運営される研究機関であり、生物、物理、工学から人文科学系まで幅広い分野でのドイツの基礎研究の中心を担っています。
我が研究所には3つの所長研究室と私を含めた4つのグループリーダー研究室の計7の独立研究室があり、異なる手法や動物種を用いつつも協力的な雰囲気のもと研究を進めています。小さい研究所ながらもコアファシリティーが非常に充実しており、事務の方々からの手厚いサポートのもと、自由で恵まれた環境で研究室を運営させていただいております。
私の研究室では、空間探索のための神経機構の解明をメインテーマにしています。我々がある目的地に向かおうとするときには、通常目的地の情報は感覚情報として脳に入ってきません(目的地以外の場所にいるわけですので)。つまり、脳は目的地の情報を自ら再構成する必要があり、さらには脳中に保存されている外界の空間情報を用いながら、目的地への最適ルートを決定しています。このように、空間探索では脳のイマジネーション能力が必要不可欠であり、いままでの脳研究では得られなかった新しい知見を期待して研究しています。
さて、私はこれまで、日本、アメリカ、ノルウェー、ドイツと様々な国の研究室を経験してきましたが、その中でもドイツは特に基礎研究というものに対する国民の理解があり、長期的な視点でサポートすることに長けているのではないかと感じています。
例えば私の専門はもちろん脳を研究するわけですが、それではどの動物種のどのような脳機能を研究したらよいかという問題がまずあります。人の疾患に関わる研究をするのであれば、人により近い動物種で研究するべきという視点もありますが、神経細胞ネットワークがどのように働くのかを詳細に調べるのであれば必ずしも哺乳類である必要すらありません。昆虫など無脊椎動物の中には驚くような能力をもつ動物種も多々あり、それらの脳を研究することで脳科学の新たな視点が開けることは過去の歴史を振り返っても数多くありました。ドイツには動物行動学・神経行動学の長い歴史があり、こうした多彩な動物種を包括する大きな視点で脳科学を捉えようとする考え方が根付いているように思います。必ずしもハイインパクトジャーナルに載るような派手で社会に結びつく研究分野ばかりではなく、科学の発展にとって重要と判断されれば、地道な分野にも研究資金を積極的に配分していることは、ドイツの科学研究を長期的に支える大きな柱なのではないかと思います。実際他の国では研究費を得るのが難しいといわれる分野にドイツが長期的に資金援助することで最終的に大きく花開いた例がいくつも存在します。
それでは、他の国々では研究に対しすぐ社会還元を求められてしまうことが多いのに、なぜドイツではこのような好奇心中心のアプローチが取れるのかということなのですが、これは一つにはドイツの長い研究の歴史もあるとは思いますが、もう一つに積極的なアウトリーチ活動の成果があるのではないかと私は思います。
例えば私の研究所の地域では年に一度Night of Scienceというイベントがあり、夕方から翌早朝まで、我が研究所と隣接するゲーテ大学が、科学講義や体験学習を行える場を設け、地域の人々に科学を学び、楽しんでもらっています。その他にも、高校生グループに研究室見学の機会を提供したり、夏休みには研究室に配属して研究体験する数週間のインターンシッププログラムを行っています。また最近は夜のバーに繰り出して一般の人に向けた科学講義をするBar of Scienceという企画も始まりました。
私もこうしたプログラムに参加しておりますが、自分の研究内容を一般の人々に分かりやすく解説はしますが、研究の具体的な社会応用などの話はほとんどしません。それにもかかわらず、一般の方々はたくさんの質問をするし、特に高校生たちの好奇心の高さには驚かされます。これはどうなっているの?どうやったらもっと分かるの?という好奇心を育む教育がうまく行われていることの証だと思います。
このように社会からの理解のもと、基礎研究を落ち着いてじっくりと行っていける環境がドイツには整っており、研究者にとっては自らの研究の意義をもう一度見つめなおすのにとてもいい国なのではないかと思います。一方で、必ずしも長い伝統に縛られているわけでもなく、近年ではアメリカの大学院教育などからよい部分を取り入れ教育改革も進めており、世界的に見てもユニークな立場を築き上げていることから、日本のこれからの科学教育・政策を考える上で参考になる点も多々あるのではないかと思います。

伊藤 博
2003年京都大学医学部卒業後、2010年カリフォルニア工科大学にてPhD取得。2009年から2015年までノルウェー科学技術大学カヴリシステム神経科学研究所のEdvard Moser教授、May-Britt Moser教授に師事。2016年よりマックスプランク脳科学研究所グループリーダー(Memory and Navigation Circuits Group )。

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