ドイツの学術研究の動向
在独PIによるドイツの学術研究の紹介(第2回)
「高分子」の中での「水」の研究 永田勇樹(理論化学・界面分光学)
「高分子」の中での「水」の研究 永田勇樹(理論化学・界面分光学)
マックスプランク高分子研究所では6つの研究部門があり、化学物質の合成、高分子コロイドの物理化学、高分子理論を主にした理論、分子分光測定、界面実験物理の部門から成り立っています。それぞれの研究部門にはDirectorがおり、それぞれのDirectorが大まかな研究指針を立て、そのDirectorのもとで6-9名のグループリーダーが実際の研究をポスドクやPhDの学生と共に行うようになっています。大学の研究室で教授が差配する大学のシステムとは大きく異なり、Directorが40-50名の大きな研究部門を差配し、研究に特化できるような環境を整えていることが大きな特徴と言えるかもしれません。
私自身は分子分光部門 (Director: Prof. Mischa Bonn)という実験主体の部門の中で、界面分光理論のグループを形成しております。実験の部門の中に理論のグループが存在するわけですが、実験のグループと緊密に連携し常に最新のデータやアイデアを実験と理論で共有できる環境は、あまり他に例を見ない特色であると思います。共同研究が推進されており、いつでも活発な議論がグループ間のバリアがない状態でできるのは、研究者にとって非常に刺激的だと僕自身は考えています。
私の研究は界面の水分子の構造や運動を分子動力学シミュレーションで「見る」ことです。ただシミュレーションだけでは、現実に界面の構造が本当に予想した構造になっているのか分かりません。実験で測定したものとシミュレーションで再現できるかテストするのが、分光理論です。そういうことで界面分光理論グループでは予測だけでなく、それを実験との比較によって実証することが大切だと考えています。シミュレーションの信頼性を確保した上で、どうやって水は界面から蒸発するのか?、なぜ氷の表面はすべるのか?、そもそも氷は0度で溶けるが、氷の表面は何度で溶けるのか?といった疑問に答えています。最新のトピックに焦点を当てるだけでなく、今まで人々が理解していたと考えている事象に再度焦点を当てて、広く信じられていたことを再度理解しようという試みも行っています。
私は、修士・博士と日本で過ごし、残念ながらあまりアカデミックに希望を感じることができず、この世界で活動を続けるのを断念しました。そして博士取得後すぐにドイツの会社に就職しました。しかし、紆余曲折を経て、なぜかまたアカデミックに戻り、結局10年以上海外で研究をしてきました。昔アカデミックに失望した人間が、研究の意義や希望、そして生き残ることの厳しさを学生に伝えていることは運命の悪戯ではないかと感じるときさえあります。しかし、こうした私の内部意識の変更について、一つだけ確かに言えることは、「同じ研究活動でも、環境が変わればつまらなくも感じるしエキサイティングにも感じる」ということです。
私の個人的な体験に基づいて書きますと、ドイツの学生は研究活動の中で、プロジェクトにコミットし、議論を通じて共同研究を先導しています。教員は必要に応じて議論に参加し、プロジェクトの進捗を尋ね、プロジェクトの修正をします。こうして、一つの研究が作られていきます。一方で、日本では、共同研究でも、学生は教員とのコミュニケーションに終始する場合が多いように感じます。学生は研究の一翼は担いますが、研究の全体像が見ないままプロジェクトが終わってしまうこともあると思います。
このような学生時代の経験の差は大きいと僕は思います。ドイツでは、学生時代のプロジェクト参加経験が、プロジェクト・コーディネータとしてアカデミックだけでなく企業でも活かされます。リーダーシップの向上やコミュニケーション能力の向上は活発な議論の中で必然的になされます。ドイツでは博士課程の学生に対する需要が企業にも多くあるのに、日本では博士課程の学生は企業にとって魅力的に映らないのは、こうした事情を反映しているのではないかと僕は考えています。
と、ドイツの良いところを書きましたが、「百聞は一見にしかず」ですので、機会を見つけて海外の研究所に滞在し、その中で発見をしてもらうのがベストだと思います。
永田勇樹
マックスプランク高分子研究所・グループリーダー
1998年灘高校卒業、2002年東京大学工学部化学システム工学科学士卒業、2004年修士卒業、2007年京都大学理学研究科博士取得。2007年よりBASF本社に勤務、その後退職。2009年よりカリフォルニア大学アーバイン校でポスドク、2011年よりドイツ・マインツにある現マックスプランク研究所へ赴任。2016年にテニュアを得る。2016年から2年間分子科学研究所で客員を兼務。振動分光理論とシミュレーションを融合し、実験にフレンドリーな理論を展開することを目指している。