7月, 2023年
石井紫郎先生を悼む 田口 正樹
石井紫郎先生が今年1月17日に87歳で亡くなられた。心からご冥福をお祈りしたい。
先生は日本法制史の分野で大きな業績を遺した。石井先生の業績が他に類を見ないのは、西洋史とくにドイツ史の深い理解にもとづいて、日本の歴史上の「法」(先生は西洋世界の法と「日本で法といわれているもの」との違いを忘れないように、しばしば「法」とカッコ付きで表記した)と国制を観察した点である。その成果は、「日本国制史研究」と副題を付された3冊の論文集(『権力と土地所有』1966年、『日本人の国家生活』1986年、『日本人の法生活』2012年、いずれも東京大学出版会)や英文論集Beyond Paradoxology, 2007などにまとめられている。
このような石井先生の仕事はドイツ学界との長く密な交流に支えられていた。先生はフンボルト奨学生としてハンブルク大学のオットー・ブルンナーのもとで学び、その後もベルリン自由大学で客員として日本史を講じ、またカール・クレッシェル(フライブルク大学)、クヌート・シュルツ(ベルリン自由大学)といったドイツの法制史学界・歴史学界を代表する研究者と親しく交際した。(シュルツ教授とはテニス仲間であったと思う。クレッシェル教授に先生逝去を筆者が電話でお伝えした際の教授の嘆息も忘れられない。)
ブルンナーの研究を日本に紹介した比較国制史研究会で、石井先生は長年中心メンバーとして活躍した(その成果として例えばオットー・ブルンナー(石井紫郎他訳)『ヨーロッパ-その歴史と精神』1974年 岩波書店)。筆者も途中から会に入れていただいて、研究会の会合などでもお目にかかる機会があった。石井先生は「万能人」で、大学行政(東大法学部学部長時代の仕事ぶりには、行政面で能力の高い同僚の先生方が驚嘆していた)でもスポーツ(野球、テニス、相撲観戦…)でも何でもできる方であったが、茶目っ気とサービス精神も人一倍であった。研究会の合宿でカラオケが用意された際には、加山雄三の「君といつまでも」をサラリと歌い、中途のセリフ部分では「僕は幸せだなぁ、研究会の先生方と一緒にいられて…」などと語って笑いをとっておられた。服装などもいつも洒脱で、凝った色調のジャケットを着こなしておられたが、あるとき筆者が背伸びして購ったのと同じ上着を先生が着ておられるのに気が付いて驚いたことがある。その後先生と同席する際には着ないように気を付けていた上着も今ではだいぶくたびれてきたが、先生の思い出とともにこれからも大切にしようと思う。
日本フンボルト協会理事
東京大学 教授
田口 正樹