日独学術交流雑記帳
ヴァーグナーと反ユダヤ主義―デュッセルドルフの『タンホイザー』演出―
高橋 義人
(文学・思想・宗教学、ケルン大学・1986-88年)
(平安女学院教授、京都大学名誉教授)
2013年5月21日から25日までヴァイマールで国際ゲーテ協会の大会が開かれ、それに参加するために短期間、ドイツを再訪した。5月22日はちょうどR・ヴァーグナー生誕200年の誕生日に当たり、テレビではいくつもの局がヴァーグナー特集番組を放映していた。
何しろヴァーグナーはクラッシック音楽史上最大の作曲家の一人である。そうである以上、ドイツ人がヴァーグナーを誇りに思うのは当然だが、興味深かったのは、テレビのどの局もヴァーグナーの業績を称えるとともに、かならず彼の反ユダヤ主義を取り上げ、それがナチズムにつながっていったという負の側面をも強調していたことだった。
おそらくそれは、ここ数年、ヨーロッパにおけるヴァーグナーの楽劇演出でしばしばナチズムが登場することと無関係ではない。そうした「現代的」演出のなかでも、今年特に話題になったのは、5月にデュッセルドルフで上演された歌劇『タンホイザー』だった。
周知のように、ヴァーグナーの『タンホイザー』は、ヴェーヌスベルクで性の享楽に耽った主人公が、その罪を悟り、贖罪のためにローマまで裸足で巡礼の旅をつづけ、ローマ教皇に赦しを乞うたが、赦免は得られず、ふたたびヴェーヌスベルクに赴こうとしたときに、清純なエリーザベトの自己犠牲によって救われるという話である。
デュッセルドルフで『タンホイザー』を演出したコスミンスキー(Burkhard Kosminski)は、タンホイザーがヴェーヌスベルクで犯した罪を、近年のナチズムと関係づけた演出に倣い、ドイツ人がアウシュヴィッツで犯したホロコーストの罪に置き換えた。今でもドイツで上演される『タンホイザー』では、序曲のあいだ舞台上でほぼ全裸のダンサーたちが踊ることが多いが、デュッセルドルフの演出ではガラスの箱のなかに立ちこめる煙のなかで何人かの人々が苦しんでいる。これは明らかに、アウシュヴィッツにおけるガス室である。ヴェーヌスは何と彼らを虐殺する強制収容所の所長であり、タンホイザーはSSの隊員である。彼はヴェーヌスに命じられるままにユダヤ人一家を射殺する。
自らの罪を悟りローマに赴くタンホイザーは、この新演出ではホロコーストの罪を悟ってユダヤ人に赦しを乞うドイツ人である。ローマ教皇の赦免が得られなかったため、彼がふたたびヴェーヌスベルクに戻ろうとすると、頭から血を流した少年が彼のところに詰め寄ってくる。
残虐な場面が延々とつづくため、デュッセルドルフの観客――特に老人――のなかには気分の悪くなる人々が続出し、彼らは次々と病院に搬送された。
芸術家の表現の自由は守らなければならないが、しかし病人が出るとなると話は別だという理由で、デュッセルドルフ歌劇場は5月9日、オペラ形式での『タンホイザー』上演を断念し、急遽コンサート形式に切り替えた。
ベルリンに留学している私の知人は、この『タンホイザー』を見るために、わざわざベルリンからデュッセルドルフに向かったが、気の毒なことに、それはちょうどオペラ形式からコンサート形式に切り替えられた初日だった。
ちなみに、筆者は40年前からドイツにおけるヴァーグナーの上演を30以上見ている。そのなかでも思い出に残っているのは、70年代前半のシュトットガルトにおけるヴィーラント・ヴァーグナー様式の極度に抽象化・簡素化されたすばらしい演出、1975年にバイロイトで見たクライバー指揮、エヴァーディング演出の夢のように美しかった『トリスタンとイゾルデ』、1976年にバイロイトで見たブーレーズ指揮、シェロー演出の『ニーベルングの指輪』、ベルリンやバイロイトで見たゲッツ・フリードリヒ演出の『ニーベルングの指輪』などである。演出だけを思い出しても、自分はヴァーグナー上演史の一時期に立ちあっていたのだと気づかされる。
その上演史のなかでも特に物議を醸したのは、シェロー演出の『ニーベルングの指輪』(1976年)、ハリー・クップファー演出の『さまよえるオランダ人』(1985年)だった。これらが毀誉褒貶の的となったのは、今ではごく普通のことになっているが、ヴァーグナーの楽劇の神話的性格が剥ぎ取られ、歌手が現代的な服装で舞台に登場したことだった。
このようにヴァーグナーを「現代化」する演出は、アメリカを除くヴァーグナー演出の基本路線となった。ちなみに伝統的なヴァーグナー演出をご覧になりたい方は、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場を訪れられるとよいだろう。
しかし筆者が一番問題だと感じたのは、ハリー・クップファーによる『さまよえるオランダ人』の演出だった。ここではさまよえるオランダ人を救うのは自分しかいないと信じ込んでいるゼンタの思いが「妄想」として描かれていた。終幕では、ゼンタに裏切られたと思い、出航するオランダ人の後を追ってゼンタが愛を誓いつつ海中に身を投じる。ヴァーグナーの原作では、ゼンタのこの自己犠牲によってオランダ人は救済されることになっているが、クップファー演出では救済はなく、音楽からも「救済」のモティーフが省かれ、音楽は数分短くなっていた。
はたしてここまでの改作が演出家に許されるのだろうか。バイロイト音楽祭祝祭劇場を出た後、筆者は釈然としない心持ちでホテルに向った。オペラは音楽と演出の両方によって成り立つ。両者は基本的に対等の関係にある。しかし演出が主で音楽が従になってしまい、音楽そのものにまで介入するようなことがあってよいものだろうか。しかも『さまよえるオランダ人』の主題は「救済」にある。その主要主題を否定するということは、原作者ヴァーグナーの意図を否定することではなかろうか。これは明らかに演出家の横暴というべきものではあるまいか。
同じことが今回のデュッセルドルフの演出についても言える。『タンホイザー』の主題は「性と愛」である。その「性」をコスミンスキーは強制収容所におけるホロコーストに置き換えた。それは演出家としての許容範囲内であったのだろうか、それともあまりにも過度な逸脱だったのだろうか。新聞雑誌に掲載された批評の多くは後者だと考えていたようである。
ヴィーラント・ヴァーグナーやエヴァーディングの演出では、演出によってヴァーグナーの音楽がひときわ美しく輝き出ていた。しかしシェロー以降の演出では、逆に音楽が少なからず損なわれているものが多かった。ジークフリートの葬送行進曲で、彼の死を知った人々が舞台上を大きな足音を立てて走りまわり、葬送行進曲に静かに耳を傾けていられなくなるのは、そのほんの一例である。
オペラにおいて演出が音楽を損なってはならないという私の持論からすれば、デュッセルドルフのコスミンスキー演出はとうてい認められるものではない。しかしヴァーグナーの受容史という点では、この演出は明らかに歴史に残るであろう。それは二度とナチが犯したような誤りはしない、二度とユダヤ人差別はしないようにしようという不戦の誓い、反人種主義の誓いだったからである。2000年にわたるヨーロッパの内戦とユダヤ人差別は、ヴァーグナー生誕200年においてようやく終わろうとしている。ヴァーグナーの楽劇をナチズムに結び付けるという近年のヨーロッパの演出には少なからぬ疑義があるものの、しかしそれが有している歴史的・政治的な意味は積極的に認めなければならないであろう。