日独学術交流雑記帳

「グローテ著「ゴシックの匠」を翻訳・出版して」

2018-06-06

グローテ著「ゴシックの匠」を翻訳・出版して

慶應義塾大学名誉教授 柳井 浩

6月初旬,標記の本(柳井浩,岩谷秋美共訳、鹿島出版会)が出版のはこびとなります.中世・ルネサンスのドイツを中心としたヨーロッパの建築を作り手の側から見た興味深い書物です.ほとんど全てのページに添えられた版画や,巻末の写真の数々から古い時代の建築現場やその技術に思いをはせることができます.

著者のグローテ(Andreas Grote)は,1929年生まれ,2015年没.父親も美術史家,1959年ミュンヘン大学の高名な美術史家であるゼードルマイヤー教授に博士論文を提出,その後は1994年に引退するまでフィレンツェやベルリンで活躍した美術史家です.

訳者の一人である柳井 浩が,グローテによるこの書物『Der vollkommen Architectus(完全なる建築家)』(1966)を見つけたのは,1970年代のはじめの頃のことで,ニュルンベルク 市のゲルマン民族博物館の売店においてであったと思います.めくってみると,中世の測量術や,工具類の挿絵が多く,計測工学科の出身である者にとっては,見逃せない書物と思い購入しました.

その後何回も読もうとしていたのですが,本務多忙のため,果たせずに放置していました.退職後,時間的余裕が得られるようになり,この書を思い出し,読み始めました.読むほどに大変面白く,翻訳して多くの人達にも読んでいただきたいと思いました.

こうして翻訳をはじめたわけですが,仕事を進めるにつれ,術語,とくに,ヨーロッパ建築の術語の翻訳に困難を感じました.なにぶんにも,場所も時代も遠く離れた中世ヨーロッパの建築です.素材も,道具も,作り方もことなる部分が少なくありません.また,翻訳にもそれなりの約束事があるはずです.門外漢が恣意的に訳語を当てては誤解や混乱を招きかねません.困っていたところを鹿島出版会の川嶋 勝氏の紹介により,共訳者として岩谷 秋美さんが加わり,共同作業を始め,解釈上の問題,用語の問題などについて討論を重ねた上で翻訳を完成させた次第です.

概要を紹介しましょう.話は,ローマ時代に書かれたウィトルゥイウスの「建築十書」にさかのぼります.「建築十書」には,多くの手写本があったようですが,ローマの崩壊後,長い間忘れられていたようです.しかし,15世紀のはじめに,スイスのサンクト・ガレンで“発見”された手写本から,完全な復元がなされ,出版されます.この「建築十書」は,アルプスを越えたドイツで大きな影響を与えました.ドイツ最大の画家といわれるアルブレヒト・デューラーもこの書に着目した一人です.

1548年には,博学者であったヴァルター・ライフが,原本に注釈をつけた,正確なドイツ語訳を出版しました.当時の技術はツンフトという閉鎖的な同業組合の棟梁達によって秘匿されていたのですが,ライフの注釈によって,当時の知識人,そして現代の我々にも,それが明らかになったのです.本書はこの注釈を軸に,中世からルネサンスにおける建築の現場を物語ります.

大きな建築をするためには,大きな力を持った施主がいなくてはなりません.当時のヨーロッパでそのような力を持つことが出来たのは,領主や教会の高位の僧侶達です.この人々については,いろいろな記録が残っており,本書でも取り上げられてはいますが,その一方,名が残ることさえ稀でありながら,実際の建築に当たった職人や親方棟梁がいます.本書では,この人達とその技術に光が当てられ,多くのページがそれに当てられています.

親方棟梁というのは,建築施工の全てに目を配り,責任を持つのですから,そのための修業は,施工の技術と管理の全般にわたります.ヨーロッパの建築では,基礎の上に石材やレンガで壁をきづき,その上に屋根を載せる小屋組を載せるのが基本です.ですから,石やレンガを運ばなければなりません.水路運ぶならば,艀の用意が必要です.起重機も作らなければなりません.石は,良い形と良い大きさに切り整え,彫刻することも必要になります.基礎が水中に設置される場合には,それに対応しなければなりません.

現場では,まず測量と縄張りがなされます.素朴ながら,測量器具がありますから,それらが使いこなせなくてはなりません.設計図は,今日のように精密なものではなく,獣皮に描かれた見取り図程度のものでした.棟梁は,その細部をキチンと頭の中に描き,大型のコンパスなどを使って,原寸場で直接,材料の上に寸法をとったのです.

さらに加えて,建築の進行を管理する責任も親方棟梁の肩にかかってきます.契約書は,獣皮に同じものを書いて,ギザギザに切り,割り符にもしました.職人達の労務管理には,木製の割り符が使われました.棟梁の見習い,交渉係,書き役など部下もいたのですが,とにかく,各全責任は,請け負った親方棟梁にあるのです.――本書の原題は「完全なる建築家」ですが,著者のグローテは「ゴシックの匠」を,一人で全てに目を配る建築家という意味で,このように表現したのだと思います.

また,当時の建築家は,軍事にも関わらなくてはなりませんでした.弾道学的な測量も,砲弾による被害を少なくするように城壁の形を整えることも,さらには,敵の城砦の地下に坑道を穿つことも仕事のうちだったのです.

本書はこのような当時の建築現場の様子を興味深いエピソードや多くの版画,写真などで紹介していますが,特に,ブリューゲルのバベルの塔の絵の中にある細かな描写を技術の視点から解説しています.バベルの塔は真偽のほども分からない古代の話ですが,絵に描かれたのは,中世の現場と考えたのでしょう.

 ヨーロッパ各地に残る,中世の堂々たる城や寺院の建築を見る際にも,そこに働いた職人や棟梁,そして技術に思いをはせるのも一興でありましょう.  (以上)  

柳井浩先生(図1)2018.06.06           柳井浩先生(図2)2018.06.06

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