日独学術交流雑記帳

ドイツビールにまつわる思い出

2013-06-08

梶 英輔
北里大学副学長(有機化学・Darmstadt 工科大学)

 今から30年以上前のことになる。北里大学薬学部で専任講師を務めていた頃、フンボルト財団から奨学金をいただいて、Darmstadt 工科大学に留学する機会を得た。1980年の初夏、フランクフルト国際空港に降り立った私は、西山 繁氏(当時フンボルト研究員、現慶應大学理工学部教授)とFriedeman Bruel 氏(当時工科大学の大学院生)の出迎えを受け、Darmstadt 市郊外のホテル ”Waldesruh”(森の静寂)に向かった。ヘッセン州の南に広がるオーデンの森に面したホテルは、いかにもドイツ的な雰囲気が漂う心地よいホテルであった。そのテラスで祝杯(?)を挙げたビールがドイツビールとの初めての出会いであった。ドイツではごく一般的に飲まれているPilsner という種類で、飲み口のよい爽やかな味わいであったのを覚えている。柔らかい夕映えの森を眺めながらジョッキを傾けていくうちに、次第にドイツ到着の緊張感から解き放たれていく自分を感じていた。ドイツでの初日の忘れえぬ思い出である。

 Darmstadt 工科大学・化学科Lichtenthaler研究室の冷蔵庫には常にドイツビールが置かれていた。研究室の学生が当番制で補充していたビールはやはりPilsnerで、スーパーなどで普通に売られている500mLサイズの褐色の瓶であった。学生は実験やセミナーが一段落すると決まって、これも学生が当番制で買ってきたソーセージを肴に、ビール片手に政治談義に盛り上がる。それほどビールは研究室での生活に密着した飲み物であった。ちなみに大学のMensa(学生食堂)でもいつでもビールを飲むことができた。おそらく彼らには水代わりに飲まれていたようである。

 ドイツでは珍しく暑いある夏の日のことである。研究室の学生達に誘われて町の地ビール醸造所にビールを飲みに行ったことがある。学生は「あそこのビールは飲んだ後決まって頭が痛くなる」などと言いながら車を走らせた。絞り立ての生ビールは何故か瓶や缶入りのビールとはひと味違った味わいがある。のど越しの刺激が格別で、しばし杯を重ね、大学に戻った。学生達はいつもと変わらず実験を再開するのだが、私はというと、予期したとおり頭痛に見舞われ、その日の午後はすっかり仕事の気力をそがれていた。

 研究室主催のパーティーでもやはりビールが主役であった。学生が手分けして食料を調達してくるのは日本と同様であるが、唯一異なるのはビールを樽ごと持ち込むことであった。学生とスタッフが日付を越えて飲み続けるためには最低限必要な量であったのだ。下戸の私は早々に退散したが、翌朝出勤すると、夜遅くまで飲んでいたはずの学生は何事も無かったかのように実験している。個人差はあろうが、ドイツ人と東洋人のアルコールに対する耐性(?)の差を感じた出来事であった。ちなみにビールを飲んで真っ先に赤くなり、ろれつが回らなくなっているのは私と中国人の留学生であった。

 ビールに限らず、外国での長期滞在は、さまざまな面でそれまでとは違った視点から物事を見ることができるようになる。 留学のメリットは学術交流による学問上の発展のみならず、外国での生活体験を通してグローバルな感覚を身に着けることでもあろう。私自身の人生の中で、ドイツでの2年余りの留学経験は、その後の人生の方向を決めたかけがえのない体験であった。多くの出会いと貴重な経験を得る機会を与えてくれたフンボルト財団に感謝の念は尽きない。

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