日独学術交流雑記帳

白井光太郎著「獨逸高山リイゼンゲビルゲ植物採集紀行」に寄せて

2016-08-10

白井光太郎著「獨逸高山リイゼンゲビルゲ植物採集紀行」に寄せて

原田英美子
滋賀県立大学 環境科学部 生物資源管理学科

私は,2002年にフンボルト財団から研究奨学金を得て,ハレ(Halle/Saale)にあるLeibniz-Institut für Pflanzenbiochemieに博士研究員として約3年間勤務した。植物の重金属集積機構の解明を目指し,ヨーロッパ原産のアブラナ科シロイヌナズナ属植物 Arabidopsis halleriを実験材料として亜鉛・カドミウムの集積機構に関する研究を行った1)。私がドイツに滞在している期間はちょうど,植物分類学の分野で,遺伝子情報に基づいて Arabidopsis属植物の分類を整理している時期にあたっていた。以前,A. halleriCardaminopsis halleriと呼ばれていたが,日本などに分布しているそのハクサンハタザオ(A. halleri ssp.gemmifera)という植物と極めて近い近縁種であることが明らかにされ,2)それに伴い学名の変更が行われた。
最近になって,日本におけるハクサンハタザオの学名の変遷についての文章を書く機会があった3)。この関連で古い植物学雑誌(日本植物学会発行)を調べているときに偶然,この文献「白井光太郎(1905)獨逸高山リイゼンゲビルゲ植物採集紀行.植物学雑誌 219: 75-82」を目にして興味を持ったので紹介したい。
これは,ドイツ・ベルリンに研究滞在していた白井光太郎(しらい みつたろう)氏が,ドイツ人植物学者らの高山植物採集旅行に同行した際の手記で,植物学雑誌には,「雑録」として掲載されている。白井氏は1863年(文久3年)生まれ,日本の植物病理学の草分けとして知られている(図1)4,5)。1899年(明治32年)にドイツに渡航,1901年に帰国し,1906年に東京大学農学部植物病理学講座の初代教授に就任した。1917年には,日本植物病理学会を設立し,初代の会長を務めた。

白井先生の画像1

(図1 白井光太郎氏が作製した植物標本
「白井氏所蔵腊葉(さくよう)品彙」というラベルが確認できる。日光中禅寺湖付近で1895年(明治28年)5月に採集したヤシャブシ(カバノキ科)の標本である。画像提供:国立科学博物館)

また,登場人物の一人であるベルリン大学のエングラー教授は,植物分類学と植物地理学の権威で,「新エングラー体系」という植物の分類法に名前を残している6)。ダーレムにあるベルリン王立植物園,すなわちBotanischer Garten und Botanisches Museum Berlin-Dahlemは1679年に設立されたブランデンブルク選帝侯の農園が原形となっている7)。エングラー教授が中心となって設計した新しい植物園は,ベルリン郊外のダーレムに1897年から1910年にかけて建設された。現在はベルリン自由大学の施設となっている。植物の採集を行ったRiesengebirgeの位置を図2に示した。当時,ポーランド西部はドイツ領で,シュレージエン(Schlesien)と呼ばれていた地域であった。

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この手記には,植物科学の黎明期に活躍した人々のありのままの姿が描かれている。加えて,世界の三大植物園の一つであるベルリン・ダーレム植物園の建設という歴史的な事業を目の当たりにした日本人の記録としても興味深い。
この手記を現代語訳として紹介するにあたり,学名の表記は以下のようにした。現在では,種小名の頭文字は通常小文字で記載する。しかし,この原稿が書かれた当時は,種小名が人名に由来する場合,その頭文字を大文字で記載することが一般に行われていた(例えば,Arabidopsis halleriの種小名は,植物学者 Albrecht von Hallerから取られている。このため,文献中ではArabis Halleriと記載されている)。このような箇所は原文の記載のままとした。また,学名に対応する植物和名が原文で記載されているものはそのままとし,ない場合は筆者が追加した。学名が変更されているものについては現在の学名も記載した。明らかな綴りの間違いは修正した。
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