日独学術交流雑記帳

白井光太郎著「獨逸高山リイゼンゲビルゲ植物採集紀行」に寄せて

2016-08-10

謝辞
この記事を作成するにあたり,植物の過去の学名の調査法についてご教示いただきました西田佐知子准教授(名古屋大学博物館・大学院環境学研究科),白井光太郎氏の植物標本に関して貴重なご助言をいただきました難波成任教授(東京大学大学院農学生命科学研究科・植物病理学研究室),植物標本の画像および文献の使用許諾をいただきました国立科学博物館および日本植物学会に心より御礼申し上げます。

参考文献
1)Weber, M., E. Harada, C. Vess, E. v. Roepenack-Lahaye and S. Clemens (2004) Comparative microarray analysis of Arabidopsis thaliana and Arabidopsis halleri roots identifies nicotianamine synthase, a ZIP transporter and other genes as potential metal hyperaccumulation factors. Plant J. 37: 269-281.
2)Al-Shehbaz, I. A. and S. L. O’Kane Jr. (2002) Taxonomy and phylogeny of Arabidopsis (Brassicaceae). The Arabidopsis Book 1: e0001.
3)小杉亜希・原田英美子(2015)ハクサンハタザオ(Arabidopsis halleri ssp. gemmifera)およびその近縁植物の重金属集積性に関する研究.作物研究 60: 1-12.
4)東京大学農学部植物病理学研究室ホームページ(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/ae-b/planpath/lab.html)(2016年7月16日閲覧).
5)末松直次(1962)本会初代会長白井光太郎先生の生誕第百年を迎えて.日植病報,27: 99-101.
6)森田龍義「エングラー」『日本大百科全書(ニッポニカ)』コトバンク(2016
年7月16日閲覧).
7)ベルリン・ダーレム植物園ホームページ(http://www.botanischer-garten-berlin.de/)(2016年7月16日閲覧)

 

独逸高山リイゼンゲビルゲ植物採集紀行
白井光太郎

植物学雑誌,第219号,p75-82,明治38年(1905年)4月20日発行

大西(おおにし)のドイツの深山踏み分けて採りし紀念(かたみ)の花の数々
見れどあかぬ美しき押葉は大西の深山の奥の形見なりけり
「ヤパアナアビスヒイヤヘヤ」と言(こと)挙(あ)げて我をたたへし旅人や誰れ

この3首は,去る明治33年(西暦1900年)7月の初め,ドイツとオーストリアとの間にそびえるリイゼンゲビルゲ(Riesengebirge)注1)という高山に登った時に採集した植物の押葉を貼り置いたものの表紙に書き付けた拙い和歌である。
この時に採集した押し葉は全部で55種であった。その数はわずかだが,私のためにはこれ以上のものはない記念の品である。時々取り出してながめると,これを採った時の苦しみや嬉しさを思い出して楽しい気持ちになる。
このRiesengebirgeというのは,ドイツとオーストリア国境にある大きな山の名で,その最高峰はシユネヱコッペ(Schneekoppe,雪頭という意味)と呼ばれ,海抜1605m(我が国でいう5297尺あまり)に及び,頂上の広さは幅50m,長さ60mほどもある。国境線はこの峰の上にもかかっているので,並び立つ2棟の旅館のうち1棟はオーストリア領,1棟はドイツ領に立っているそうである。ドイツ領の方には,郵便電信局および高山測候所などがある。山頂からの見晴らしは非常によく,四方30「マイル」ほどにも及ぶとのことだ。この山は,わが国の富士山や日光山に匹敵する名山で,ところどころある谷間には夏でも残雪があり,希少植物種も少なくない。中腹以上は地衣帯にかかっているが,珍しい山水の景色を探し,夏の暑さを避けるにはちょうどよい環境であることから,都会からの観光客が年々増加している。宿泊施設も非常によく整えられている。伯(ベル)林(リン)よりは2泊で頂上に到達することができる。
私は明治33年6月30日,ベルリン大学教授兼王立植物園長,ゲハイムラアト(枢密顧問官)注2)であるエングラア(Engler)先生以下,十人の人々に従ってベルリンを出発しこの山に向かった。今回,植物園長自らこの山に登られる理由は,高山植物をたくさん根ごと採集し,最近移転改築に余念がないダーレムにあるベルリン王立植物園の高山部の築山に植える材料にしようとしていると聞いた。
この日午前九時に,ベルリン植物博物館に行き,教授のシュウマン先生(Prof. Schumman)にお目にかかった。シュウマン先生より,リイゼン山に登って戻ってきたら,君も学問のリイゼン山注3)になることであろうとの祝福のお言葉を下さって私を送り出してくれたのは,今でもなお耳に残っているような気がする。
 ギルヒ博士 (Dr. Gilg)とルウランド博士(Dr. Ruhland)の2名に従って,市内のゲルリッツエルバアンホヲフ(停車場の名)注4)まで乗合馬車を走らせ,10時40分に同行する10名全員とうちそろって汽車に乗りこんだ。11時にニイダアシエンワイデ(Niederschöneweide)駅を過ぎた。この線路の左側には松(Pinus sylvestris),樺(Betula alba)などの林があった。車内でエングラア先生は,リイゼン山の地図を取り出して行手の事を何くれとなく教えてくださった。さらに,この山には氷河期に北極圏から漂ってきた Saxifraga moschata, nivalis, muscoides(ユキノシタ科ユキノシタ属)など,近隣の山々には見当たらない珍しい種類の植物も残っていることを語られた。少し行くと右に湖水のようなものが見えた。このあたりでは,沼地に縦横に溝を掘って水を流し,ムギやジャガイモを植えている。12時にリユウベナウ(Lübbennau)に到着した。エングラア先生は,窓から「ザウアアグルケン」(胡瓜を酢に漬けたもの)を買い求め,私たちに分けてくれた。1個10「ペンニッヒ」であった。丸かじりすると,水気が多く,のどの渇きを止めるのに著しい効果があった。2時にゲルリッツ(Görlitz)駅を通過した。ここで5分間停車する。降りてリイゼン山の地図を買い求めたりした。2時40分Lauban駅に着き,4時にHirschberg についた。ここで乗り換えて,4時36分,Hermsdorf に到着。前進の途中Ritterbergを過ぎ,Kynast の城跡を訪れ,山上の茶屋で休み,古城の物見矢倉に登った。山頂の高さは657mあり,険しい岩山で,頂上の眺めは非常によかった。山上で

Acer Pseudoplatanus L.(セイヨウカジカエデ)
Dactylis Aschersoniana(カモガヤの一種,現学名 Dactylis glomerata L. subsp. aschersoniana
Frangula Alnus Muller.(セイヨウイソノキ,現学名 Rhamnus frangula,葉にさび病菌の感染がみられる)
Pyrus aucuparia Gaert. (セイヨウナナカマド,現学名 Sorbus aucuparia
Petasites albus gaert.(キク科フキ属)
Prunus Padus L.(エゾノウワミズザクラ)
Prunus spinosa L .(スピノサスモモ,果実にタフリナ(Taphrina)属子嚢菌の感染がみられる)
Rosa canica L.(イヌバラ)
Sedum acre L.(オウシュウマンネングサ)

などを採った。また,小さな臼砲(きゅうほう)を空打ちし,木魂が面白く鳴り渡るのを聞いたりした。7時5分ここから下り,8時にAgnetendorf の旅館に入った。私はベルリンを出るときから,雨の用意にと冬用のコートを着て,押葉紙などを納めた背嚢(リュックサック)を背負っていた。夏の日の暑さと重い荷物のために,道中人知れず非常に苦しみを重ねていたのが情けない話である。旅館についてしばらくすると,ブレスラウ(Breslau)注5)からパックス(Pax)教授が学生20名あまりを引率して合流したので総勢30名あまりとなった。これらの人々は,前もって約束して落ち合ったとのことである。夜にはこの家の広い庭に机を連ねて会食し,酒を酌みかわして互いの健康を祝しあった。僻地の旅館なので,木造2階建ての日本の小学校のようにもみえる建物であったが,新しいので気持ちがよかった。二階の1室に泊まり,10時ごろ就寝した。
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