日独学術交流雑記帳

日中韓によるアジア・ゲルマニスト大会の過去と未来

2013-12-11

木村直司  (ドイツ文学、上智大学名誉教授)
(1959-61年 DAAD 奨学金にてミュンヘン大学に留学、1982年ジーボルト賞を受賞して、同じくミュンヘン大学に留学)

ゲーテ=シラーと親交のあったアレクサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)は、古今の言語に精通した人文学者ヴィルヘルム・フォン・フンボルトを兄とする自然科学者であった。アレクサンダー・フォン・フンボルトの精神史的位置はこれだけですでに明らかであるが、ベルリンが一八〇六年にナポレオン軍により占領され、一八一三年からフランスに対するドイツの解放戦争が展開されたにもかかわらず、彼は中南米探検旅行から帰ったあとパリで20年間もフランス人の同僚たちと研究活動を続けた。国際的かつ学際的なこの科学者の政治的に中立な生き方は、彼の名を冠した学術団体と共にまことに模範的であったと思われる。
 1985年のゲッティンゲンにおけるIVGゲルマニスト大会において慶応義塾大学の岩崎英二郎教授が次期会長に選ばれたとき、ヨーロッパ以外の国で初めて開催される1990年の東京大会に、欧米だけではなく全世界、とりわけ韓国と中国からも多くのゲルマニストが参加されるだろうということは自明であった。それまで、フランスとドイツのように歴史的に緊密な関係にある東アジアの隣人同士でありながら、日中韓のゲルマニストの間にはほとんど何の関係もなかった。しかしながら1920年代から、あたかも人工衛星に反射されるように、ドイツ語およびドイツ文学に対する共通の愛が存在していた。さいわいゲッティンゲン大会の直前にDAADが当時なお西ベルリンで国際ゲルマニスト会議を企画し、そこに中国・韓国・日本などのかつての奨学生たちが多数招待され、少なくともささやかな面識を得る機会に恵まれた。
 周知のようにIVGの東京大会は世界中からの参加者を得て空前の盛況であったが、それに先立ち日本独文学会はまず個別に日韓と日中のドイツ語学・文学学会と二国間のゲルマニスト会議をソウルと北京で開催し、個人的な相互理解と学問的な交流を図った。そこで判明したのは、ドイツ語が英語に劣らず国際的コミュニケーション手段であって、韓国語や中国語を話せなくてもお互いにドイツ語で難なく理解し合えるということであった。このような意思疎通により多かれ少なかれ友情が生まれ、人間的な次元でなんらかの和解も可能となった。時あたかも東西ドイツの再統一が行われ、ベルリンでは旧日本国大使館がとりあえず日独センターとして再出発することになった。そこで日本独文学会は、初代所長 Dr. Thilo Graf Brockdorff の協力とフンボルト財団およびドイツ学術交流会の財政援助を得て、各国10名のゲルマニストから成る最初の日中韓のアジア・シンポジウムを戦前の日本大使館の建物の中で開催することができた。この記念すべき最初のシンポジウム記録は、日独センターの Dokumentation の一冊として刊行されている。
 その後、3か国の学会理事会の決定により、日中韓のアジア・シンポジウムは原則として回り持ちで3年ごとに行われることになり、最初に北京で、次に韓国、日本の順ですでにそれぞれ3回、3回、2回と開かれている。そのほか日中韓のゲルマニストたちは、バンクーバー、ウィーン、パリ、ワルシャワのIVG大会で再会し旧交を暖める機会があった。IVGの理事会に中国・韓国・日本の代表が参加しているのは言うまでもないが、2010年のワルシャワ大会で上海のドイツ語学者 Prof. Dr. Zhu Jianhua が2015年の次期会長に選ばれた。同氏が教授を務めている同済大学には中国有数のドイツ語教育施設があり、近くには日本で医学を学ぶためドイツ語をも習得した魯迅の記念館がある。これまで3回の日中韓シンポジウムの中国大会はいずれも北京で行われたので、上海では Exkursion のさい中国の新たな文化景観を見聞できることが期待される。なお、次の韓国大会はIVGと重なるため1年ずらして2016年に開催されるとのことである。  (木村直司) 

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